渋谷・鹿児島おはら祭♪ハ〜 ヨイヨイ ヨイヤサット!
5月20日・21日の2日間、ヤングの街、渋谷周辺エリアで「第9回渋谷・鹿児島おはら祭」が開催されました。
21日は、50以上もの踊り連が参加する、道玄坂踊りパレードが行われ、今回も奄美からは、「東京奄美会」「喜界島・踊りの会」「関東・ザ・徳之島」と3チームの踊り連が参加しました。(ネーミングがカッコいいですねえ「関東・ザ・徳之島」!小林旭のベスト盤「アキラ・ザ・グレート」を彷彿させます)
そして当サイトスタッフも、東京奄美会の踊り連とご一緒させていただき、パレードに参加してまいりました。
当日は、お天気にも恵まれ、陽射しが強くとても暑い日でした。こんな陽気のせいか、踊り手や見物人の熱気も俄然高まっているようでした。
「はやく踊りたい」と逸る気持ちを抑え、まずは整列して、開会のあいさつを拝聴。
来賓のごあいさつの後の、開会式ファンファーレでは、鹿児島大学の医学部教授でもあるテノール歌手・米澤傑(よねざわすぐる)さんの、プッチーニ作曲"トゥーランドット"より「誰も寝てはならぬ」の独唱が披露されました。日本人離れした歌声が渋谷の街に響き渡り、「何故におはら祭にオペラが?」と呆気にとられてしまいましたが、その迫力ある歌声に、我々の気分も沸点に達しました。
開会式が終わると、いよいよパレードの開始です。
パレードは、伝統的な踊り方の「踊り連方式」で行われ、道玄坂から文化村通りを2時間以上にわたって練り踊ります。
♪花は霧島 煙草は国分〜
ハッピ、浴衣に花笠姿など色鮮やかな衣装で「ヨイヨイ、ヨイヤサー」のかけ声を響かせながら、個性あふれる踊り連が壮大な踊りの波をつくって道玄坂を下っていきます。
ヤングからお年寄りまで見物人が沿道に詰め寄り、軽快なリズムにのって一緒に踊ったり、かけ声を送ってきます。外国の方も物珍しそうに写真をたくさん撮っていました。
踊り連の中には、まだお昼過ぎだというのに、目を八の字に垂らした赤ら顔のおじさんもチラホラと見受けられ、お祭り気分を満喫しているようでした。
「おはら節」「ハンヤ節」と郷土民謡の踊りが終わると、伝統の踊りにアレンジを加えた踊りが始まります。
♪ラ〜ブラ〜ブしぃ〜ぶや〜 ラブラブし〜ぶや〜
沿道のみなさんも一緒に口ずさんでしまう、お馴染みの「渋谷音頭」。そして、ロック調にアレンジされたご機嫌なナンバー「TOKYO おはら」へと踊りはつづいていきます。
このアップビートな「TOKYO おはら」に、ついつい体が動き出す渋谷系ヤングもチラホラと。曲の合間の「One Two Three!」のかけ声はやたらと発音がいい!
踊り連のみなさんは、気温27.0℃の暑さの中、2時間以上にわたる長丁場を踊り続け、会場を盛り上げてくれました。「関東・ザ・徳之島」の黒の衣装と闘牛のかぶりものは、本当に暑そうでした。汗を流した後のビールは最高だったことでしょう。
残念ながら奄美勢の入賞は叶いませんでしたが、「東京奄美会」をはじめ奄美勢の踊り連は、入賞した踊り連に引けをとらない、きれいな踊りでした。
入賞できなくても、明るく・楽しい踊りで、奄美を十分アピールできたのではないでしょうか。
みなさん本当にお疲れ様でした。
♪ラ〜ブラ〜ブ渋谷〜 ラブラブ奄美〜♪

【おはら祭とは?】
戦後の街おこしに燃える市民の間で生まれた南九州最大のお祭り。
おはら祭りの名前の由来は、鹿児島の代表的民謡「おはら節」。
この民謡が生まれた一説として、江戸時代の初め、島津家が琉球に侵攻したとき、日向国安久(今の宮崎県都城市)の武士が陣中で唄った歌を、鹿児島の原良(ハララ)の武士が帰国後に歌詞をつけて唄い始め、それが鹿児島一円に広がるにつれて、原良に「お(小)」が 付いて「小原良(オハラ)」節と呼ばれるようになったといわれている。
「おはら」だからといって、「腹踊り」はしないので注意したいところ。