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瀬戸内町西端目指し、いざ”西古見”へ!(古仁屋〜古志)

そのつもりもないのに、のんびりしてしまい、これが島に流れる時間なのかと感じられる今日このごろ。腹ごしらえを済ませた我々は、お昼をとうに過ぎて、ようやく西古見へ向けたドライブを開始しました。
古仁屋から西古見への道は、リアス式の入り江を大島海峡の海沿いに走ってゆきます。突き出した半島部分は山道。その山を越えると、入り江に半島に囲まれた集落が見えてきます。道路は集落の目の前を海岸沿いに走り、次の半島へと伸びていきます。こうして半島をひとつひとつ越えながら、西端「西古見」へと向かうのです。



古仁屋から4kmほど行った手安という集落を堤防沿いに走っていると、『旧陸軍弾薬庫跡』という看板を見つけました。山側への道を少し上ると、教習所の脇に弾薬庫があります。
この弾薬庫は、旧陸軍によって昭和7年に完成され、戦時中は南西諸島の防衛のため帝国陸海軍の弾薬貯蔵補給基地として利用されていたとのことです。しかし当時は厳戒態勢がとられていたため、地元民はこの壕の存在すら知らず、終戦の武装解除によって、大量の弾薬がここから運び出されたことにより、初めて弾薬庫だったということがわかったようです。
danyakuko_in.JPG一見、うっそうとした山にぽつんとある、小さな防空壕のように見えますが、入ってみると、その広さに驚きます。それもそのはずで、規模・構造とも当時の日本では、最も優れたものだったそうです。湿気防止のため周囲は空間を設け、風圧に耐えるための二重壁構造となっており、真っ暗な壕の中は、日中の暑さが嘘のようにヒンヤリとしていました。





douro.JPGhiroba.JPG弾薬庫のある手安から久根津〜油井〜阿鉄へと、しばらく入り江に面した集落がつづきます。緑に囲まれた、トタン屋根の背の低い家々とガジュマルの木。海岸には小船が必ず置いてあります。山から見下ろす集落は、まるで箱庭のようです。集落には必ず広場があり、駐車場と間違って車を止めてしまいそうになりましたが、どうやらゲートボール場になっているようです。太陽が低くなり陽射しが弱まると、いつのまにかぞろぞろとご老人たちが集いゲートボールを楽しみます。




阿鉄を過ぎ、ひっそりと山の中にある集落小名瀬を通って、阿室釜まではしばらく山道です。分岐のある篠川から、リアス式の入り江が広くなり、集落と集落の間隔がだんだんと伸びていきます。









古志に着くと、廃校となった小さな小学校を見つけました。校庭は草がぼうぼうと生い茂り、デイゴの木が枝を広げて並んでいます。廃校になったのは、いつなのでしょうか?子供たちがいなくなってから、ずっと時間が止まってしまったように、ひっそりと当時の面影を残しています。
大正10年に植えられたというデイゴの木は、ここで80年以上に亘り子供たちを見守り続け、いまは誰もいない校庭で何を思うのでしょう。時間も忘れ、デイゴの下でやさしい木漏れ日を浴びながら、子供たちで賑わっていた時代にじっと思いを馳せていました。
そんな風に、ボケーっと草むらに突っ立ってた間、蚊にとっていいカモになってしまい、刺されまくりました。手足首、あっちこっちカユい、カユい。特にヒジや指の関節を刺していくのはルール違反です。ボリボリ体中を掻きながら、学校を後にしました。
deigo.JPG


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コメント

私は久根津出身です。
懐かしく見させてもらいました
これからも頑張ってください

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