こころをうつ祈りの唄声〜朝崎郁恵inフィリア美術館
8月26日、この日は山梨のフィリア美術館にて、『こころをうつ祈りの唄声〜嘉義丸のうた』という朝崎郁恵さんを迎えたイベントがあります。そして我々は、スタッフとして、ともに現地入りしたのです。しかし、夏休み最後の土曜日とあって、我々と朝崎郁恵さん一行を乗せたワゴン車は、中央自動車道の渋滞に巻き込まれてしまいました。
このフィリア美術館というのは、戦争に纏わる作品を中心に展示しており、様々な書物も備えている会館。山梨県の小淵沢という標高800メートルの高原に位置する、避暑にはもってこいの場所で別荘地としても知られています。空気が都会と違って、気持ちいい!
元々このイベントの始まりは、約2年前に遡ります。本日の主催者、持留さん夫婦が朝崎さんのライブを拝見。それに感動した夫妻は、ぜひ朝崎さんを招いたイベントを行おう、と決意。会場も「このフィリア美術館しかない!」 と強く思ったといいます。
いつでもそうですが、遅刻は厳禁です。ましてや今回は、長き月日をかけて準備してくださった方からのご依頼。到着し実際に本人達と会うと、その想いの大きさが感じられました。イベントは美術館のスタッフのみならず、賛同してくれた方々が有志という形で参加、お手伝いをしていました。音響チームさんなんて、当日は車で数十分の遠き道のりを、手作りの機材を持って駆けつけてくれたのでした。
1部〜優しさの中に強い思いを感じた嘉義丸のうた
さて、本日もシマ唄ライブは『今日ぬほこらしゃ』からスタート。そしてご挨拶の唄、『朝花』です。いつもと変わらぬメニューですが、スタッフ、観衆共に想いが1つなので、全体でまとまりというか統一されたムードの中、緊張感すら漂ってきます。『よいすら』では奄美の波の音をBGMに流し、『五木の子守唄』へ。そして前半の聞き所である、『十九の春』からいよいよ語り部のメッセージに移り『嘉義丸のうた』へ。本日のこの唄の出来はもちろん素晴らしく、優しく歌う中にも念のような物が感じられました。
ここで少し、『嘉義丸のうた』に関する解説を・・・
―1943年5月26日、大阪から鹿児島経由で奄美・沖縄に向かう大型連絡船「嘉義丸」は米軍の魚雷攻撃により沈没。
三百人以上が死亡・行方不明となり、救助されたのはわずかに百人あまりだった。
針灸師をしていた朝崎郁恵さんの父、辰恕氏は、故郷奄美がもう見える、というところで子どもと生き別れたお母さんから話を聞き、
追悼と鎮魂のために「嘉義丸のうた」をつくります。
しかし戦況が不利であることを国民に報せないため、唄うことが禁じられました。
戦後もアメリカへの遠慮から、唄われることはありませんでした。
戦後六十年が過ぎ、朝崎郁恵さんは偶然、嘉義丸の生存者らと出会います。その際戦争の悲劇を風化させてはいけないという思いを強く抱き、歌を復元してアルバムに収録しました。この唄は鎮魂歌なのですが、ある意味、反戦歌であるとも言えます。―
2部〜初めての奄美六調に大盛り上がり
2部はいつものように『一切朝花』から『徳之島節』、『あまぐれ』、『東れ立雲』とノリのよい唄が続きます。そして最後は『豊年節』から『六調』へ。先ほどの一体感じゃないですけど、想いが一つになるということは気持ちのいいものです。初めての奄美六調に、見様見真似で皆は踊ります。ティディンを押さえる役は現地のスタッフだったのですが「踊れなかったね」と労をねぎらうと、「凄く楽しかった」と返って来たので、ほっとしました。
アンコールはいつもの”朝崎マジック”で聴衆を魅了
そしてアンコール。『おぼくり〜ええうみ』そして『ふるさと』へ。唄の世界観に入り込む聴衆は、『ふるさと』を皆で大合唱。最後まで全体で1つの雰囲気がありました。ホント、朝崎さんは不思議な方です。その起こしてきたマジックの数々は、伝説の唄者と言えるでしょう。
夏休みの終わりに一つのピースフルなメッセージを!
その後持留氏から、今回への情熱と経緯を聞きました。元々は1部をパイプオルガンのあるギャラリーで行い、2部は野外でやることが計画されていた、といいます。しかし当日の不安定な天気で、屋内で行う事となったのでした。「夏休みの終わりに一つのピースフルなメッセージを!」とは、ライブのチラシの片隅に書かれていた主催者からの言葉です。本日ばかりはこの言葉を、強く認識させられました。
そして最後に、この日の食事は全て有志の方々がこの地で栽培して出来た野菜などを中心とした物で、とても美味しいものばかりでした。これも強く印象に残っております。
【フィリア美術館公式HP】http://www5.ocn.ne.jp/~philia/